パレスチナ -パレスチナ問題を勉強してみるー
むかーしむかし、現在のイスラエルの場所はユダヤ人(ユダヤ教)がこの地を治めていました。
ダビデ王の時代です。
しかしこの土地は、アジア、ヨーロッパ、アフリカを結ぶ大変重要な土地だったので、あらゆる国から狙われ、結果、新バビロニアによって征服されます。
その後、当時幅を利かせていたローマ帝国が領土拡大のために攻めて来てこの地を征服。
この時に嘆きの壁となる神殿も破壊され、ローマ人に反乱を企てたユダヤ人はこの地に戻ることは許されなくなります。
ユダヤ人がいなくなった代わりに?ではないかもですが、この地にキリスト教が生まれます。
そして、徐々にローマ帝国も衰退していき、今度はその場所にアラブ人が住むようになり、彼らはイスラム教徒となっていきます。
(この地にはいろいろな国や民族、宗教が移り変わり、のちにエルサレムはユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地となります。)
しかし、このアラブ人もオスマン・トルコ帝国にこの地を占領され、1900年くらいまでこのオスマン・トルコ時代が続きます。(400年ほど)
そして、オスマン帝国時代にこの土地はパレスチナ呼ばれるようになります。
この頃ヨーロッパ勢が様々なところに植民地を作っていました。
そして第一次世界大戦が勃発。
オスマン帝国とイギリス、フランス、ロシアが対立し、中東に目を付けたイギリスが
アラブ人とユダヤ人に対して、どちらの民族にもパレスチナに独立国家を建ててやるから協力しろ&金を出せと約束してしまうんです。
そして第一次世界大戦でイギリスがオスマン帝国に勝利するのですが、イギリスはどちらも裏切り、パレスチナを委任統治領とします。
この時、ユダヤ人は世界各地に散らばっていたのですが、旧約聖書には〈神様はユダヤ人に約束の地を与えてくれる〉とあるので、その地は昔住んでいたパレスチナに違いない!となりもう一度パレスチナに独立国家を建てよう!という運動が始まります。
それがシオニズム運動です。
なので、パレスチナには、集まってきたユダヤ人とアラブ人が混在している状態。
しかも非常に仲が悪く、紛争もあちこちで起こるようになり、第二次世界大戦が終わるとイギリスが治安維持能力を失い撤退したため、この国を国連に委ねることになります。
イギリスがこの状況に手が付けられず手放した感じですね。
長年の間、この地に住んでいたアラブ人、アラブ人が住む前から居たユダヤ人、どちらもこの地を譲れないですね。
アラブ人=パレスチナ
となります。
しかし、この分割案はユダヤ人にとって有利な分割となり、アラブ人が納得いかない状況に。
人口はアラブ人がユダヤ人の2倍なのに、面積もアラブ人が50%以下。
しかも荒野地区はアラブ人、水利が整っている地域はユダヤ人と明らかに不公平な分割案。
この案の背景には、アメリカの影響があるとのこと。
実際、ユダヤ人って勤勉で非常に優秀な人材が多いので世界各地で活躍している人がたくさんいます。
中でもアメリカに移り住んだユダヤ人が金融業で成功しアメリカ経済において強い影響を持つようになります。
そこで、アメリカは国内のユダヤ人支持を得ようと、米政府が国連にユダヤ人優遇を迫ったと言われています。
そして1948年、パレスチナ分割案をもとに、イスラエル国として独立宣言を宣言をするのですが、納得のいかないアラブ人はアラブ諸国の力を借りてイスラエルに攻め込みます。
それが第一次中東戦争。
この戦争はアメリカの支援もあり、イスラエルが勝利。
この時イスラエルは多くのアラブ人たちを殺害し、またアラブ人の土地も多く占領します。
その結果、アラブ人(以後パレスチナ人)が難民となっていき、隣国のシリアやレバノン、ヨルダンへと流れ込みます。
現在、パレスチナ難民は世界中で約500万人に達し、世界で最も多い難民グループとなっています。
ここからさらにパレスチナ人は失った土地を奪い返すべく、第二次、第三次中東戦争が始まるのですが、ことごとくイスラエルが勝利し、どんどん自分たちの領土を増やしていきます。
犠牲になったのは軍人だけではなく子供たちも含む多くの民間人たちが犠牲になっています。
長年の争いにより憎悪が拡大。
未だに解決しないパレスチナ問題。
戦争や武力では何も解決しないのにね。
これはパレスチナにある大きなカギのモニュメント。
パレスチナは大きな分離壁で囲われていますが、いつか鍵を開けて自由に、そして自分たちの土地へ戻りたいという意味が込められているんでしょうか。
ではまた!
同じ人間なのにな。
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